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神の領域に触れた物理学者 ロバート・オッペンハイマー

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物理学者の栄光と苦悩

原爆を生み出した天才物理学者



ロバート・オッペンハイマー

(Robert Oppenheimer)は


「我は死神なり、世界の破壊者なり」


こんな言葉を残しています。


このことから

『ボルン-オッペンハイマー近似』が

栄光と光ならば

『マンハッタン計画』は

苦悩と影だったのでは・・・


「原爆の父」と言われた

ロバート・オッペンハイマーの

歩みについてまとめてみました。




□ ロバート・オッペンハイマー


1904年~1967年

アメリカ ニューヨーク生まれ

ユダヤ系アメリカ人の物理学者


裕福なドイツ移民の長男として生まれ

大学では、はじめ化学を専攻していました。

が、実験物理学に専攻を変え

量子力学を学び

宇宙物理学の研究から

原子爆弾の研究へと転向しました。




□ ボルン-オッペンハイマー近似


1927~1928年頃

ゲッティンゲン大学で

マックス・ボルンと共同で研究


超簡単に言うと

原子核は遅く、電子から見ると

ほぼ止まっているように見える




□ マンハッタン計画


1942年

ロスアラモス国立研究所の

初代所長に就任し

『原子爆弾開発プロジェクト』を任されました。

研究期間は30ヶ月


1945年7月16日

原子爆弾の実験が成功しました。

その実験名は『トリニティ実験』

キノコ雲は高度12kmに達しました。


その後

1945年8月6日広島へ投下

1945年8月9日長崎へ投下




□ ロバート・オッペンハイマーその後


1947年

プリンストン高等研究所所長に任命され

アインシュタインらと働きました。


1954年

水素爆弾の実験に反対していた

オッペンハイマーは

国家機密を持ち出したソ連のスパイとされ

アメリカ政府により

『機密安全保持疑惑』の

容疑をかけられ、有罪となり

ワシントンから追放され

その後、FBIの監視下に

置かれる事になりました。


※ 1952年

アメリカは原爆の100倍以上の

水素爆弾の実験に成功しています。



1963年

物理学の功績を称える

エンリコ・フェルミ賞を受賞しました。




□ ロバート・オッペンハイマーまとめ


オッペンハイマーは

日本に投下した原爆の光景を目にし

その後の水素爆弾の実験には

反対の姿勢を表明し

あらぬ疑いをかけられました。


化学と物理の功績は

時に兵器(へいき)として使われる事があります。


当時、トルーマン大統領に

オッペンハイマーが言った言葉


『自分の手が血に染まっている気分です』



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